日々のまとめ

日々の出来事どもに対する処理が追いつかないので、ここで処理する。処理落ちしました(2017年2月10日現在)

現状整理(1)

 二年目となった大学生も後半戦だ。正直イメージしていた大学像と全然そぐわない所へ来てしまった。現状大学生らしい生活をしているとはとてもじゃないけど言えない。やりたいことで卒論を書くことはできなさそうだ。
 今年の前半部辺りまでの時間一年と少しの多くを過去を恨むことに空費してきた。折り合いが付いたというと嘘になってしまうけれど、後ろという方向に対して後ろ向きの覚悟というか、諦念のようなものを抱けるようになった。こういう気持ちは嫌いだ。無理矢理そうさせられているという感覚がする。Twitterで大学生らしい(当人にこのらしさが感じ取れるものではないと思うけれど)大学生たちを見ていると、羨望の情が湧き上がってくる。いいなあ。
 さて、現状僕はどうしたらいいのだろうか。今のところ的確なアドバイスをくれるような人は知り合いには居ない。だからここも自分で考えなくちゃ。
 まず僕は人付き合いについてどういう姿勢で臨んだら良いのかを考えることにした。世の中色々な人がいる。ここで、みんな自分のために生きていると思うことにしよう。他人のために生きているつもりでも、他人のために生きている自分のための行動と他人のための行動を分かつことは難しい。だからみんな自分のために生きているということにした方が問題は扱いやすいものになるだろう。
 ここでいう「みんな」には、当然この僕も含まれる。となると、問題は僕が僕のために生きるには対人関係においてどのような姿勢をとるのが望ましいのかというものになる。
 個人には利害がある。個々人間には利害関係がある。僕もその関係の網の形成と維持に参加している。こういうものの中で快適に過ごすには、なるべく一人で時間を過ごすかもしくは利害関係をより力のある誰かしらと一致させることだろう。僕はなるべく前者の行動をとりたいと思う。でも、前者の行動を快適にとろうと思うのならば、適度に後者の行動もとらなければならないだろう。だから僕は、他人にとってどうでもよい人間になることにした。居ても居なくても当人の利害に大きく影響しない人間に、だ。どのように大きく影響しないのかというと、今までの経験から他人が己の利害にマイナスに働く因子を許してはおかないという学び(こんなことは学びたくなかった)も踏まえて、他人の目に、当人の利害に雀の涙程度に貢献するような人間に写るという仕方でだ。
 ほんの少しのプラス因子こそが、毒にも薬にもならないと認識されるものだと僕は思う。上手に演じなきゃ。思い通りにし難いけど雀の涙程度にはプラス因子であるような人間を目指すのだ。