日々のまとめ

日々の出来事どもに対する処理が追いつかないので、ここで処理する。処理落ちしました(2017年2月10日現在)

「成長」について

 昔から「成長」という言葉にピンと来ない。たぶん、誰かが僕に語りかける「成長したね」という言葉は、単に相手の持っているある一つ以上の軸を持った世界観(大人―子ども?)に、僕を再度位置づけ直す作業が終了したことを示していたり、単なる社交辞令であったり、自然の摂理が正常に働いていることを確認したりする言葉であったことを子ども心ながら感じていたのだろう。なんというか、他人が口にする「成長」という言葉が、僕の中で意味を持たないような気がしたのだ。もしかしたら、「成長」という言葉の本来の意味は、自分に対してしか使えないものなのかもしれない。その意味では、「大人になったね」なんていう言葉は意味がよく分かる。ある世界観が直接に言葉に表れているからだ。ひょっとすると、「成長」という言葉は、ある世界観の隠れ蓑だったりしないだろうか。いや、もしかしたら、蓑の中には何も入っていないのかもしれない。うーんもやもやする。